南三陸

初めての南三陸

先週連休を利用し、初めて南三陸へ行ってきました。色々な理由をつけてなかなか行動できずにいましたが、本当にこのタイミングで行けてよかったです。
(あと3年のうちに防潮堤ができ、町から海が見えなくなる可能性があるそうです。)
ある団体のツアーに参加、農業や漁業支援、そして様々な場所を見て回りました。震災から4年8ヶ月、月日の流れを感じる場所や時間が止まっている場所、
様々な想いがめぐりました。

 

【防災対策庁舎】
職員の方々約30名が屋上へと避難、写真に写っている細いアンテナに10名ほどがよじ登った状態で、それぞれの腕をつかみながら必死に耐えたそうです。
目の前に立つと当時の声が聞こえてくるようでした。

 

【歌津・伊里前地区】
上が震災前、下が震災後の歌津・伊里前地区です。約15分間で町は流されてしまった、と説明を受けました。

 

【戸倉中学校より】
約15mの高台にある戸倉中学校からの風景です。この写真と同じ高さまで津波がきたそうです。
校舎の1階部分の窓やドアが流され、ベニヤで塞がれていました。
 

 

【ホヤの種付け】
漁業支援ということで(お力になれたかは分かりませんが。。)、漁師さんに教わりながらホヤの種付けを行いました。
牡蠣殻にホヤの種が付いた縄を輪ゴムでくくっていきます。約3年経つとようやく出荷できる大きさになるようです。
ここでお世話になった漁師の方々が本当にあたたかく、ユーモア溢れるみなさんでこちらが元気をいただいてしまいました。
寒くないか気遣っていただいたり、牡蠣をごちそうになったり、笑わせてもらったり、おもてなし精神に感動しました。

今回初めて南三陸へ行き、地元の方と触れ合うことで、3.11がどこか自分とは遠い出来事だったのがより近くに感じられるようになりました。
ボランティアで何ができるのだろう、生半可な気持ちで行っても、と言い訳ばかりの自分でしたが、現地を訪れて会話を持つだけで、自分の心に何か変化が起きるだけでも十分意味のあることなのかな、と思って帰ってきたのでした。

「震災をわすれないでほしい、また来てね」という現地の方々からの言葉が離れません。
まだ行かれたことのない方、迷われている方、是非現地の方のあたたかさに触れていただきたいです。
私もまた出会った人々に会いに、牡蠣や海鮮丼を食べに(?)、必ず戻りたいと思います。

おらほさきてけさいん

「おらほさきてけさいん」

なんじゃこりゃ?
と思われた方へのヒントは…

「南三陸」

分かりましたか??


先日、震災後3回目となる、南三陸に1年半ぶりに行って参りました

そこで一緒にボランティアをしていた人が
道から見えた看板に書かれている
この呪文のような言葉きになったようで
「意味わかる?」
という話になりました

確かに平仮名だけが並んでいると
何なんだ?!
という感じですが

何を隠そう
「宮城」と「高尾」のダブルの私ですので…
むしろ「分からない」ということに衝撃が走りました

答えは
「私のところに来て下さいな」
というような意味で
とある旅館のCMキャッチフレーズなのです

「けさいん」の部分が「けらいん」になるなど微妙な違いはありますが
昔よく聞いていた、おばあちゃんたちの言葉で
私にとってはある種「普通の言葉」でした

漁師さんの作業のお手伝いをさせて頂いたのですが
漁師さん達との会話も
「半分くらい分からないんだよねぇ」
という声も聞かれ
漁師さん達も
「まるで中国語聞いているみたいでしょ?」
と笑いながら話されていました

私も時折
「えっ?」と言うことはありましたが
小さい頃のリスニングがモノを言ったのでしょう
他の方よりは
「えっ?」の回数が少なかったように思います

という私も小さい時に
おばあちゃんの家に帰り、親戚一同に囲まれている中で
叔父さんに質問をされ
「10才です」
と答えたら
周りが笑いに包まれた経験があります
なぜなら
叔父さんは
「スイカは好きか?(畑で採れたから、好きならたくさん食べなさい)」
というような質問をしていたそうです…
何がどうなったら「何才?」になるのか分かりませんが…
あの時の衝撃は忘れられません

実家から電話が掛かってくる度に
宮城の言葉を話し始める母に
「2つも言葉がしゃべれるなんて凄い!」と
尊敬のまなざしを送っていたことを思いだします
高尾山のふもとで育った私には
「自分たちだけの言葉」が羨ましかったのでした・・・

まぁそんなこんなで
漁師さんたちが、私の機器馴染みのある言葉を話すたびに
なんだかウキウキしていた私ですが

英語と同じで
リスニング出来たからと言って
簡単にスピーキングまで出来るわけじゃない・・・

これがとことん身に沁みます
聞きとれて分かっているのに、あの微妙な発音ができないのです
冒頭の言葉のように平仮名だとさらに分かりにくくなるのは
平仮名だけではおこしきれない微妙なイントネーション、発音の違いの再現が出来ないからでしょう
スピーキングまでたどり着くには、まだしばらく東北へ足を運ばねばならないようです…


1年半ぶりの東北は、まだまだ津波の爪痕が見られ、本当に4年半が経過したのか・・・と思えるところもある一方、8メートルの防潮堤、かさ上げ工事などが 至る所で進んでいました。しかし、そのような工事が進むからこそ、現地の人は新たな問題に直面しているということもあり、決して終わったこと、過去のこと では無いと痛感させられました。
支援を行う団体が激減し、そのような団体には現地の方々から様々な要望が届いている状況だそうです。
是非、お時間のある方は足を運ばれてみてください。

発信力

先日
ボランティアでお手伝いさせて頂いた団体が

「南三陸あったらもん再生委員会」プロジェクト を始動!!
そのプロジェクトに参加して

届いたのが
南三陸からの
海の幸、山の幸!!

地震が起きてから
もうすぐ4年になりますが
今回届いた幸は
すべて地震、津波でなくなってしまった
漁場や農地を
一から再開して収穫されたものです
一歩一歩着実に前に進んでいることを
実感しながら
すべて美味しくいただきました

そんな
海の幸、山の幸とともに
一緒に送られてきたものの中に
↓南三陸のフリーペーパーがありました

 
 

このフリーペーパーを開けてビックリ!!

 

写真が見づらいかもしれませんが
ほぼすべての内容が
英語と日本語で書かれていました
(縦書きが日本語、横書きが英語です)

私が以前見たことがあるものは
日本語版・英語版・中国語版
とそれぞれの言語によって
冊子自体が分かれているもので
世界に自分たちのことを発信する意欲に
凄いなぁと感心させられたのですが

南三陸のフリーペーパーは
日本語と英語の両方が使われているのです

2か国語両方を一つの紙面にしていることで
もしかしたら
英語は読めないから

そのスペースがもったいない
とか
その逆の意見もあるかも知れません

しかし
日本語版・英語版などで
分かれてしまっていると
自分が手に取った言語しか意識しませんが
両方書いてあることで
日本語だけを読んでいても
自分だけでなく
世界に発信しているんだなぁ
ということを感じることができ
うまく表現できませんが
かっこいいな!!と思いました

 
 

海外に出た時に
私が困った…と思うことは
日本のことをうまく伝えられない
ということです

海外に出て
その国のことを知らない場合は
そこで学べば良いわけです
でも
そこの国の人が
日本について知りたい時
自分は「日本の代表」となるわけですが
私がそれを伝えることができない
ということがあったので

このように自分の文化について
自分の暮らしについて
英語で伝えることができることに
かっこいい
と思えたということと

「英語を使う」というと
自分がほかの国に行って
そこで英語を使うと考えてしまいがちですが
国際化が進み
色々な国から
多くの人が
日本に来てくれるようになり
(2013年には1000万人を超えましたね!)
日本国内でも英語で発信する機会、重要性が高まっていることも
実感することができました

 
 

↑「全世界のみなさんありがとう」

震災直後には世界中の人からの
支援が届いた南三陸だからこそ
世界の人たちに
自分たちについて知ってほしい
自分たちのメッセージを届けたい
そう思ったのかも知れませんね

ボランティア

皆さんGWはどのように過ごされましたか?
と、昨年と同様(出来ること )の書き出しですが、私は昨年に引き続き、東北へ行ってきました
今年は昨年とは異なる団体に参加し、南三陸に行ってきたのですが、涙あり、笑顔あり、憤りもありのとても充実したGWとなりました

南三陸の防災庁舎(津波警報のアナウンスを最後までされ、ご本人は津波の犠牲になってしまったという話をニュースなどでご覧になった方もいると思います)

 
 

約40名の参加者と感じたことなどをシェアする時間などもとられていたのですが、その中でボランティアについての意見も多く出されました

かっこつけてるように思われるから周りに言わずに参加した
小さい力かも知れないが継続は力なりとずっと参加している など色々でしたが

一番多かった意見は 
「何もして来なかったことにずっと罪悪感を感じながらも、自分に何が出来るんだろうと思い、参加出来ずにいた」というものでした

みなさんは「ボランティア」というとどのようなイメージをお持ちですか? 

私はボランティアというと何か人のために無償で行う崇高なことのように感じていたのですが、アメリカにいた時にそうではないのかも知れないと考えさせられました
大学にある生徒に役立つ情報をシェアする掲示板には常にボランティアを募るメッセージが出されていて多くの学生が参加していたのです
私も数回参加したのですが、環境保護イベントのサポートや近所のお年寄りの庭掃除に一緒に参加した学生は皆「当たり前」のこととして楽しんで参加していて、難しいことではなく誰でもできる助け合いのようなことなんだなぁと感じたことを覚えています

「ボランティア」は英語からきた言葉ですが、英語本来の意味とは違った感覚で私は受け止めていたのかも知れないと思いました

その後、フィリピンのワークキャンプに参加し、そこで児童養護施設に滞在しながら建設作業に携わったりしたのですが、
技術のない自分が行くよりも、参加費をそのまま寄付して専門の人が作業した方が良いのではないか?
子どもたちに対する専門知識のない自分がもしか したら子どもを傷つけてしまったのでは?
などと悩んだのですが、その後に自分の中で得た答えは
確かにプロが仕事をした方が早いが、自分が直接、見聞きした経験をその後どう生かすかが大切
実際に現地の人と触れ合うことで、お金の寄付だけでは出来ないことができる
ということでした

大学卒業後にNGOでボランティアを受け入れる側になってもやはりその思いは変わりませんでした参加者が、帰国後にそれぞれの分野で活躍する中で、活動に様々な広がりも生まれ、現地の人たちも参加者も直接交流をするからこそ生まれるものがたくさんあることを実感させられました

「全世界の皆さんありがとう」世界中の人からの支援があったことを思い出させてくれる看板がありました

 
 

今回のツアーでも出来たことは小さいかも知れないけれど 
現地の人たちがおっしゃっていた
「自分たちのこと、地震があったことが忘れられてしまうことが一番怖い」
という気持ちに実際に現地を訪れることで、少しはこたえられたかも知れませんし
現地で見たことを知り合いに伝えていくこともできます

津波の被害を受けた建物などを「もう当時のことを思い出したくないから見たくない」と思っていた人たちの中には多くの人がそれらの建物を実際に訪れ、慰霊する姿を見ることで心境が変わってこられた方もいるそうです

まだ至る所でガードレールなどに津波の跡が見られました

 

震災のボランティア以外にも色々なものがありますが、どの活動でも言える事だと思います

 

2020年のオリンピックにボランティアとして参加することを目指されている方もいらっしゃると思いますが、2020年まで待たずに、「今出来ること」がきっとありますよ!!

養殖しているホヤ(写真に写っている大きさのもので約3年、つまり震災後に再開した養殖で育ったホヤです)

 
 

私が生きている間、生涯忘れてはいけない今回の東日本大震災 

震災を直接経験していない子たちが教科書などで当時の様子を見て「実際はどうだったんだろう」と疑問に思った時に、何か話せることができただけでも、今回参加した意味はあったと思っています

(カナダホームステイプログラムでも「地震の時はどんな様子だったの?」「今はどうなの?」と聞かれることが度々あり、昨年見てきたことなどを伝えることができました)

また同じような思いで参加した人たちとの素敵な出会いも大切な宝物になりました!!

Megumi

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